OUTRIDER創刊号

KAZU@

2011年04月30日 10:10

※一部写真を非公開にしています。

本棚の奥から昔の雑誌が出てきました。



ツーリング雑誌の草分け、OUTRIDERの創刊号です。



私が東大受験より難しいと言われていた限定解除(死語?)に合格して名機CB750Fに乗り始めたのは1982年。
国内の二輪車販売のピークで、現在の10倍の数の新車が売れていた時代・・・

毎月の様に次々とニューモデルが投入され、バイク雑誌も急増。

そんな時、モーターサイクリスト別冊やライダーズクラブの様に単車のハード面を扱った雑誌とは一線を画した雑誌として登場。

発行されたのは1986年7月。

巻頭特集は北海道の道南・道央。



翌8月号で道東特集を掲載していました。

ミリオン出版発行、380円。



ツーリングギア研究としてレインウエアの選び方の記事が載っていますが、これ以降毎年この時期には北海道とレインウエアが特集されるようになりました。

寺崎勉氏と大田潤氏のコンビがオフロードバイクで全国を野宿して回るナチュラルツーリングも連載開始。

寺崎氏は後年日本一周林道野宿旅を行い、その時はモンベルのムーンライトⅢを使っていたと思うのだが、ナチュラルツーリングの1回目、四国旅ではどう見てもホームセンターで3000円位で購入したとしか思えない、フライシートがテントの上半分位しか覆っていないノーブランドテントを使っています。

ちなみに寺崎氏が乗っているのは当時4STオフロード車としては珍しかった水冷エンジンのカワサキKL250R、大田氏はXT250T。

他の記事中の使用バイクもエリミネーターなど、カワサキが多い。

当時も今も、バイク雑誌と言えば例外無くホンダの広告が載っている物ですが、4大メーカー中カワサキだけが広告を、中開きと裏表紙にカラーで載せている。

中身の写真を転載すると問題になりそうなので、広告の写真だけお見せしますが、著作権上問題有りと言う場合は御連絡願います。

巻末のエリミネーター750/400。



750はエンジンが国内仕様のGPZ750R(忍者)と共用でシャフトドライブのモデル。



輸出用はGPZ900Rと同じ900cc仕様があったと記憶しています。

カワサキはこの時期、シャフトドライブに拘りがあったようです。
おそらく輸出向けが多かったので、メンテナンスフリーを考えるとチェーンよりシャフトドライブの方がメリットがあると考えたのでしょう。

空冷4気筒、マルチエンジンの『アメリカンモデル』で、Z750LTDなんて言うのは750cc4気筒のZ750FXに段付きシートと、ハーレーのようなアップハンドルを付けた奴でしたが、最終モデルはスペクターと言うペットネームを付けてシャフトドライブにしていました。

他にも水冷6気筒のZ1300とかがありましたな。

こちらは中開きのカラー広告。



GPZ400R。



GPZ250R。



共に水冷でGPZ250Rは現在も末裔が現役で販売されている、息の長いモデル。
ちなみに遡るとZ250FTと言う空冷並列2気筒がベースなのでかれこれ40年の伝統がある訳です。

後は読み返して面白いのは新型車のインプレッションですが、取り上げられているのがスズキのRG400γとGSX400Xインパルス。

RG400γは2ストローク4気筒と言う、現在では排ガス規制で2度と生産される事は無いだろう希少なマシンですが、現在でも人気があるようで偶にスモークを吐きながらかっ飛んで行くのを見掛けます。
ウォーターウルフカラーなんて言うのがありましたな。

一方インパルスは聞いた事が有ってもGSX400Xを思い出せる人は少ないのでは・・・

カタナ(刀)以降、80年代のスズキのデザインは奇抜な物が多いのですがGSX400Xはとりわけ灰汁が強い。
当時も滅多に見なかったので、現在残っている車体は殆ど無いでしょう。

前モデルのGSX400FSインパルスは好きだったのですが・・・ちなみに通勤途中に時々GSX650Gを見掛ける事があるのですが、これも希少ですなぁ。

結局OUTRIDERは10年位購入していたと思うのですが、ツーリング雑誌と言う性格上どうしても内容がマンネリになり勝ち・・・何より、雑誌で事前知識を調べて行くよりも、直接現地に出掛けた方が楽しい事が判ったので買わなくなってしまいました。

バイク雑誌も当時と比較すると数が激減していて、OUTRIDER誌も廃刊になっているのでは・・・と思ったら、今でも発刊していました。

そうか、今年で25周年なんだ。

それにしても寺崎氏と大田氏の連載が未だ続いているのにビックリした。

ちなみにこの創刊号が発刊される前に同じ名前のOUTDIDERと言う単発本が発行された事があって、それにも寺崎氏の記事が掲載されていたのですが、多分月刊化の下準備だったのではないかと思います。




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