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2011年05月28日

STILLWATER SARATOGA

物置の奥からプラスチックコンテナを出して来た。



しばらく使っていないので虫干しをするか・・・



STILLWATER社のフロートチューブ、SARATOGA。



10年程前に海外通販で購入。

カムフラージュ柄の外皮の中にブルーのビニール製チューブが入っています。



小物入れポケットの中にメインバルブ。



以前紹介した電動ポンプでエアを注入。

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背もたれ部分のチューブは別体式。



浮いてる時にでも空気を追加で入れられる様に注入口はストロー状に長くなっています。

フロントバーの取り付けはベルクロ式。



完成。



一般的なフロントオープン型のフロートチューブは上から見るとU字型の物が多いと思いますが、こいつはV字型。



V字型なので、波切りが良くスピードが出るとか、安定性が良いとかのメリットはあるのか?と思いましたがU字型との違いはあまり感じられません。

メッシュのエプロン部分はインチのスケール付き。



両サイドにポケットが付いていますが、丁度両肘が当るので使い勝手はイマイチ。



ベルクロ式のロッドホルダー。



90年代初頭、最初に購入したフロートチューブはCaddisのU字型。

フィンもセットになっていて、今でもそのフィンを使っています。



最初は霞ヶ浦、遠征するようになってからは琵琶湖や八郎潟へバス釣りへ。

更には単車に積んで北海道の沼地に浮かんでイトウを釣ったりしていました。

初代フロートチューブは10年位使ったところで内部のチューブが熔着部分から剥がれ、修理不能となったのでこいつに買い替え。

こいつも補修キットが付いています。



90年代当初は日本製フロートチューブは種類も少なく高価だったのに対し、海外通販品は品揃えが多いし安かった。

まあ、今でも100ドルを切る価格で売っているので円高の現在は購入チャンスだと思います。

ちなみにウエイダーとシューズも海外通販。



陽気も良くなって、フロートチューブで浮くにはベストシーズン。



久々に桧原湖に行きたいねぇ・・・


  


Posted by KAZU@ at 10:10Comments(0)釣:その他

2011年05月21日

フジHD-Mタフガイデート

以前釣り用カメラをUPした時にちょっと話に出した富士の防水カメラが実家の物置から出て来ました。



富士のHD-M、通称タフガイデート。



デートって言うのは写真に撮影の年月日が写るって事です。

この機能がカメラに盛り込まれたのは何時位だったっけな?

ちなみに念の為に申し述べておきますが、デジカメじゃあないからね。

デジカメだったらプロパティで撮影日時が直ぐに判るけれど、昔はネガを入れる袋に日付けを書いておくか、アルバム(紙の)に写真を貼って注記を書いていた訳ですよ。

驚いたのは10年使っていなかったカメラのデート機能の電池が生きていていて、しかも日付が調整していないのに現在の日付けに合致している事。



ちなみにMODEボタンを押すと時間表示になるのですが、こちらは約50分遅れていました・・・

調べてみたら1985年から1988年迄販売されていたようなので、20年以上前のカメラです。

当時の定価は5万円近くしたんじゃなかったかな?

こいつの前は巻き上げが手動でフラッシュが付いていない初代のHD-1を使っていました。

当時は防水カメラと言えばニコノスしかありませんでした。
ダイビングをやる知人がオレンジ色のニコノスを持っていましたが、当時は15万円位したんじゃなかったかな?

ニコノスは物凄く格好良くて、欲しくて欲しくて堪りませんでしたが当時の私には手が出ず。

HDシリーズはフライフィッシングの大家、浜野安宏氏が釣り用カメラとしての企画を富士フィルムに持ち込んで作成されたようです。

HD-1の発売当時、月刊フィッシング誌上で浜野安宏氏が使用レポートをやっていたのが思い出されます。

HD-1は釣りは勿論、スキーやバイクツーリングに大活躍していたのですが、パッキンが劣化して内部に水分が進入、フィルムが固着して巻き上げが出来なくなって廃棄・・・まあ、ボディーを覆っているラバーも劣化してベトベトになっちゃったと言うのもあったので修理は諦めました。

HD-1を気に入っていたので、後継機のHD-Mを購入。

HD-1のラバーが購入後直ぐに劣化したのに比較して、こいつのボディーは20年以上経過していても全く問題無し。



REWと言う小さな丸いツマミは撮影途中でフィルムを巻き上げる為の物。

シャッターと巻き上げは電動で、単三乾電池2本で駆動。

本体底部に円形の蓋があり、コインで回して電池を交換する。



流石に10年前の電池は液漏れしていたが、カメラ側にダメージは無く、電池交換で普通に作動した。



巾14㎝、高さ8㎝。



厚みは7cm。



多分、現行の一眼デジカメのボディーより大きいだろう。

重量は約500g。
これは現在は勿論、購入当時でもコンパクトカメラとしては相当重い。

もっともシャッターも重目なので、自重が有る事で手振れ防止の効果が有るかも知れない。



赤いシャッターの隣のスイッチはシャッターロック。
バッグに入れておいても不用意にシャッターが切れなくなっています。

FUJINON LENS 1:2.8 f=38mm。



ちなみにピントはリングで距離を合わせる特殊な物。



メートルとフィート表示になっています。

こんなのでちゃんとピントが合うのか?って思う人もいるだろうが、多少のズレではピンボケしないし、私の様な強度の近視にはファインダーで合わせると逆にピンボケになる事もあるので問題無し。

今のデジカメはそもそもピント合わせが自動なのでピンボケって言葉はもう直ぐ死語になってしまうだろうねぇ・・・

浜野氏は釣り用として開発されたようだが、実はマクロ撮影が出来ないので釣り用としては案外使い難いんだよね。
最短撮影距離が表示上では1m、実際にピントが合う最短距離は0.8m位なので、かなりの大型魚じゃあないとカッコ良い写真にならない訳です。



まあ、浜野氏の様に巨大なトラウトやサーモン釣りをする人には問題無いのかも知れませんが。

3m迄の水中撮影が可能だったと思いますが、浸水が怖くて水中写真は撮った事はありません。

手袋をしていてもピント合わせやシャッターが押せるので、ツーリングの途中やスキーの最中でも気楽に撮影可能。

HD-1と違ってフラッシュ一体なので使い易い。



ボディー上面のFLASHレバーをONに回してしばらく待つ。



READYのインジゲーターランプが点灯すればフラッシュ撮影が可能。



レンズキャップは細いプラスチックで本体にぶら下がっていたのですが、劣化して切れてしまったので古いフライラインで繋いであります。



ボディーの右サイドのツマミを回すとリアカバーが開きます。



ISOの調整ツマミ。



釣りやキャンプでは薄暗い場所での撮影が多いので、通常はISO400のフィルムを入れていました。

リアカバー側。



フィルムが入っているのが見える。

私が最初にキャノンの小型デジカメを購入したのが90年代の終わり頃で、それ以降は出番が無くなり使っていなかったのだが・・・10枚程撮影した状態のフィルムが入っている。

10年前のフィルムでまともに撮れるのか?って不安もありますが、36枚撮りで20枚以上残っているので全部撮影してから現像に出すか・・・それにしても、10年前に何を写したんだろう?

現像はコンビニで頼めるのかなぁ・・・最近はフィルム現像、同時プリントなんてする客は皆無だろうから、幾ら取られるか少々不安である。

取り敢えず、こいつを持って何処かに出掛けるとするか。




  


Posted by KAZU@ at 10:10Comments(4)釣:その他

2011年05月14日

4×4MAGAZINEキャメルトロフィー特集号

※一部写真を非公開にしています。

今回紹介するのも昔の雑誌。



4×4MAGAZINEキャメルトロフィー特集号



1991年8月25日発売。



定価1500円。



多分、現在だとキャメルトロフィーって何っ?て言う人の方が多いかな。

ウィキペディアのキャメルトロフィーの項目を見ても、殆ど記述が無いからねぇ。

参考リンク:キャメルトロフィー(Wiki)

1980年から2000年迄の20年間に渡り、煙草メーカーのキャメルがスポンサーになって、世界各地の悪路を四輪駆動車で走破するラリーが開催されていました。

スポンサーの煙草メーカーの名前を取って、キャメルトロフィー。

通称キャメトロ。

1980年:トランス・アマゾニカ(参加はドイツの3チームのみ)
1981年:スマトラ(ドイツ5チームのみ)
1982年:パプアニューギニア(イタリア、ドイツ、アメリカ、オランダ各2チーム)
1983年:ザイール(オランダ、ポルトガル、香港、ドイツ、スイス、イタリア、スペイン各1チーム)
1984年:ブラジル(12カ国12チーム)
1985年:ボルネオ(8カ国16チーム、日本初参加2位!)
1986年:オーストラリア(14カ国、日本6位)
1987年:マダガスカル(14カ国、日本7位)
1988年:セレベス(12カ国、日本6位)
1989年:ジ・アマゾン(14カ国、日本8位)
1990年:バイカル/USSR(16カ国、日本最下位)

ネットで検索しても、殆ど情報が無いねぇ・・・

普通の自動車レースだと、単純に遅いか早いかスピード勝負の訳ですが、キャメルトロフィーは単純に車の操作技術だけでは無く、ドライバーやナビゲーターが様々なタスクと呼ばれる課題をクリアーして行く特異なラリーでした。

使用車両は電動ウインチとシュノーケルを装備したランドローバーディスカバリー。

昔は日本国内でもシュノーケルを装備した四駆を結構見かけましたが、実際に水中走行する車は無かったと思います。
キャメトロの10周年記念ビデオを持っていたのですが、実際にボンネット迄水を被るような渡河を行うのでシュノーケルは必須アイテム。



要所要所でタスクをこなし、道無き道を時には全員で力を合わせて丸太で橋を作りながら走破する。

参加者は全員アマチュア。

お金を払えば誰でも参加出来る競技では無く、世界各地で激しい予選を潜り抜いた猛者が集結する訳です。

生涯で参加出来るのは一回のみ。

一度出場してしまうと、参加資格が無くなります。

賞金も無し。

得られるのは名誉、そして国境を越えた友情・・・



記事中に『キャメルトロフィーへの道』と言う事で、日本の国内予選(ジャパンファイナル)の模様がレポートされています。

P22の写真の中、ギャラリーの一人として小さく私が写っている。

私の知人が89年、90年とジャパンファイナルに2年連続して出場していたので、応援に行っていた訳です。



1990年11月30日(金)から12月2日(日)迄の3日間、過酷な予選が行われました。

残念ながら私の知人は最終選考の10名に残らず落選。



翌91年は11月29日から4日に渡り前年度を上回る過酷な予選が行われました。

当時、日本チームの成績がぱっとしなかったので選考側も必死だったのでしょう。

この時は書類審査の応募者数は6115名。
その中から約60名が御殿場特設会場(富士吉田周辺の荒れ地)に集合。

知人は3年連続でジャパンファイナルに出場。
私は初日から会社を休んで見学に行ったのですが、他にギャラリーは無く、参加者の方々が過酷なタスク(課題)を黙々とこなすのを遠くから眺めていました。

初日から土砂降りの雨。

選考前半は参加選手の個人スキルが試されるタスクが多く、主に体力勝負。

参加選手は日中だけでは無く、夜中に叩き起こされてタスクをこなしていました。

私は会場内のキャンプサイトで早々とビールを飲んで寝ていたのですが、夜中に突風でテントを吹き飛ばされ、慌ててランクル70の車中に避難。

2日目の午後、60名から10名に絞られたのですが、私の知人はしぶとく選考に残り、その後は2名一組となって5チームで本戦さながらの過酷な競技が深夜迄繰り広げられた訳ですよ。

最終日、残念ながら知人はファイナリストにはなれませんでした。
後にスタッフに話を伺うとメディカルチェックでNGだった模様・・・予選に来る為に前夜迄ハードワークをしていなかったら日本代表になれていたかも?

4名のファイナリストはこの後海外での最終予選で2名に絞られ、本戦に出場した訳です。

当時はTVのスペシャル番組で放映されていました。

三菱はこの時期ジャパンファイナルのスポンサーをやっていたので、競技車両はパジェロのショート。



これは90年の競技車両、全く同じ仕様のキャメトロレプリカモデルも限定で販売されて、翌年の参加選手の中には競技車両に慣れる為に態々購入したと言う人もいました。

翌91年はモデルチェンジした2代目パジェロが競技車両になりました。

背表紙は三菱のストラーダ。



91年には黄色く塗られたストラーダもスタッフ車両として会場内を走っていました。

パジェロのフロントにはウォーンの電動ウインチが付いていました。



94年頃からジャパンファイナルの競技車両も実戦と同じディスカバリーとなり、キャメトロのレプリカモデルも販売されました。

以前私がランクル80を購入した時、対抗候補の一つとして近所のローバー販売店でディスコ(ディスカバリー)の試乗をしたのですが、試乗車を100万円引きの350万円で買わないかと持ち掛けられて心が動いた物です。

後年のキャメトロの日本チームの成績は良く知らないのですが、結局日本チームはキャメルトロフィーを1度も獲得できなかったのかな?
日本チームの成績不振の原因の一つは競技が全て英語で行われるのでコミニュケーションでハンデがあったのだろうと思います。

又、他国のチームは軍隊の特殊部隊出身とか、警察関係などの普段からトレーニングが仕事の一部といった筋肉の化け物みたいなオッサンも多かったようなので、普通のサラリーマンだと体力負けしてしまったのかな?

日本の参加者の中には消防のレスキューとか自衛隊の方も居たのではなかったかと記憶しているのですが、日本の場合、公務員では有給を何日も(本戦は3週間)取って『遊び』に参加する事は中々難しかったのではないかと思います。

精力的に活動されていた長島康紘氏が急逝された影響も大きかったのかも知れません。

結局キャメルトロフィーは2000年迄続けられたものの終了。

世界的な健康志向で煙草の宣伝が規制されたり、道無き未開地に四輪駆動車を踏み入れる事に対する風当りが強くなったのも中止になった原因なのかも知れません。

最後の2000年は車を使ってのラリーでは無く、ボートで島々を巡る変則的な競技だったようですが、スポンサーだったローバーのサポートが無くなったのもキャメトロ終焉の大きな理由でしょう。

後年ローバーはインドのタタ自動車に買収されてしまいます。

多分、今後二度とこんな世界的なイベントは開催されないだろうと思うと残念です。

YouTube:CAMEL TROPHY JAPAN FINAL 1991


YouTube:CAMEL TROPHY JAPAN FINAL 1992


YouTube:CAMEL TROPHY JAPAN FINAL 1995


YouTube:CAMEL TROPHY JAPAN FINAL 1996


  


Posted by KAZU@ at 10:10Comments(0)車:書

2011年05月07日

ナチュラルツーリング電気紙芝居編

前回OUTRIDERの創刊号を紹介しましたが、物置からはこんな物が出て来ました。



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ナチュラルツーリング電気紙芝居編。



自然中林道単車野宿二人旅。



平成元年5月1日発行。(1989年)



ミリオン出版。

Hi-Fi STEREOって書いてありますが・・・



VHS60分。

当時OUTRIDER誌に掲載されていた『ナチュラルツーリング』のビデオ版です。

寺崎勉氏と大田潤氏がオフロードバイクで日本各地の林道へ出掛けて野宿すると言う企画でした。



ビデオ冒頭、霜の降りたテントから寺崎氏がはい出してくるのですが、ロケ地は確か北アルプス当りの山の中の空き地だったのではなかったでしょうか?

テントはダンロップ、ガソリンストーブはホエーブス725を使っていますね。

他には北海道の雪中ツーリングの映像を収録。
これはOUTRIDER誌上でも掲載されましたが、スパイクタイヤ仕様のセローで厳寒の北海道ツーリングをしています。

以前から冬の北海道を単車でツーリングする猛者は少数ながらいたのでしょうが、この記事以降メジャーとなって、宗谷岬で年越しするライダーが増えたのではないかと思います。

イタチョー大田の『ナチュラルクッキング』も動画で見られます。



久し振りに見直したがノイズも無く、20年近く前のビデオとは思えない程状態が良かった。

価格は4500円!!!

うーん、良くこんなの買った物だ。

まあ、寺崎・大田両氏の野外着替えシーン(モザイク付き)映像も収録されているし、二度と手に入らないマニア?には堪らない逸品と言って良いだろう。


  


Posted by KAZU@ at 10:10Comments(0)単車:書